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こぶじいさま
¥990
こぶじいさま 再話・松井直 画・赤羽末吉 福音館 福音館の『こぶじいさま』は、福音館書店創業メンバーで名編集者の松井直さんによる再話。絵は赤羽末吉さん。赤羽末吉さんの『かちかちやま』は、勢いのあるキリッとした線で緊張感のある場面を展開されていましたが、『こぶじいさま』は色のグラデーションやにじみの効果がやわらかく、鬼がたくさん出てくるのに、どこか、のどかな雰囲気ですね。 「こぶとりじいさん」という題名の方が馴染みがあるかもしれません。私の大好きな昔話のひとつです。 いわゆる隣の爺型昔話で、人の真似をしてもろくなことはないのですが、このお話の隣の爺さまには同情を禁じ得ません。陽気な性格や一芸を持っていたり機転がきくと、ピンチをチャンスに変えられるのはきっとそうなんでしょうけど、隣の爺さまは欲張りでも嘘つきでもないのに、内気なばっかりにこぶが増えるって酷いじゃないですか。むしろ、主役の爺さまの嘘が隣の爺さまに災いとなって降りかかっているというのに。このあとのご近所付き合いに大いに差し障ると思います。 なのに、なぜ大好きな昔話かというと、別に隣の爺さまの不運を笑っているわけではありません。 まず、鬼たちは何者なんだろう? というのがずっと気になっていました。 大川悦生さんの『こぶとり』(ポプラ社)では天狗になっていますが、『こぶじいさま』(福音館)同様、大勢でお堂の周りを歌い踊ります。炭焼き小屋とかではなくお堂。異界につながるキーポイントがお堂というのもいいです。お堂って神仏を祀るものですよね。歌や踊りを奉納しているのでしょうか。鬼たちが悪者だとは思えません。 中世から近代以前は日本にもアジール的な空間があったそうです。アジールとは聖域や自由領域、避難所、駆け込み寺といった性格を持つ場所で、権力や法の支配が及ばない、社会からはみ出したものが生きることができる領域。公民権はないけど投獄まではされないみたいな曖昧な場所。そういう場所が各地にあったそうです。 物語に出てくる鬼や山姥も、そういう人々との遭遇であったのではないかなと思います。このお話のお堂はアジール的な場所を示しているのではないでしょうか。鬼の集団は、旅芸人の一座が滞留してたのかもしれません。そういう人たちは、新しい価値観を持ち込むでしょう。 じいさまが厄介に思っていたこぶを、その一座は大事なものだと思い込みます。コンプレックスだったこぶがチャームポイントだと認識されたら、実際にこぶを取らなかったとしても、じいさまみたいに急に身軽になったような気持ちになるのではないでしょうか。その爽快感が大好きです。 隣の爺さまは残念でしたが、合わない集団に無理して寄っていくことないですよと伝えたいです。
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かちかちやま
¥1,760
かちかちやま 再話|おざわとしお 画|赤羽末吉 福音館書店 日本の五大昔話のひとつに数えられる『かちかちやま』を小澤俊夫さんの再話で、赤羽末吉さんの躍動感のある絵はどこか鳥獣戯画のような懐かしくてコミカルな雰囲気がありますね。 物語は性格の悪い狸が、賢い兎に成敗される勧善懲悪に類する形ですが、本によっては残酷すぎるという理由でソフトな表現に書きかえられているものもあります。 こちらの本は、たぬきの悪行はそのままにおばあさんはばばあ汁にされて食べられてしまい、悪いたぬきは兎によって、完膚なきまでに叩きのめされます。 ばばあ汁とはあんまり過ぎますね。しかし、あんまり過ぎるから現実ではない物語として、読めるのではないでしょうか。 また、物語として読むことで現代に置き換えることが出来ます。 ことの発端は、ちょっかいを出してきた狸にお爺さんが鍬を投げたことです。 仕返しに狸は罪もないお婆さんを非道を働きます。 そこへ兎がやってきて、第三者なのに狸を執拗に痛めつけたうえで川に沈めます。 似たようなことは、SNS上でも起こっているのではないでしょうか。
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たつのこたろう
¥1,760
たつのこたろう 文|松谷みよこ 絵|朝倉摂 講談社 松谷みよ子さんの長編童話『龍の子太郎』は国際アンデルセン賞も受賞した代表作。 鬼にさらわれた友だちにの少女あやを助けに、そのまま龍になった母親を探しに出かけます。 さらには貧しい村を豊かにするため一大事業を成し遂げるたつのこたろう。 最初は怠け者で、つまはじきにされていたたろうが、友だちと目的を得て大きく成長します。 朝倉摂さんの絵がとても美しい。動物に囲まれている姿は心やさしいけれど浮かない表情で、とてもじゃないですが大きなことを成し遂げるようには見えません。 ですが、揺るぎないやさしさがあり、次第に味方を得ていく困難の解決の仕方には大人もおおいに学ぶところがありそうです。